330年間以上、イルクーツク市は、バイカル湖の南岸に位置し、イルクーツク市に住んでいる人々は、市の地理的な位置に驚いています。300ほどの小さなせせらぎや小川がバイカル湖に流れ込んでいることと同時に、バイカル湖の貴重な水が流れ出ているユニークなアンガラ川によってイルクーツクが2分されています。1661年にヤーコフポハーボフの指揮下でコサック部隊は、アンガラ川の流れに沿って下方のバイカル湖よりあまり放れていない場所に、木造の城塞を建設しました。当時は、ロシアが、シベリアの果てしなく広大な地域を開拓しはじめた時代で、人々は伝説の宝を探すと言う目的で訪れ、17世紀末には当りイルクーツク市の人口は、コサック、商人、軍人、役人、合わせて1千人でした。
この3世紀のうちにイルクーツク市にはたくさんの変化があり、戦争、反乱、革命をはじめ地震や火事などが、街の外見を変えてきました。しかし、イルクーツク市は、現在までに例のない独特な外見を持ち続けています。真っ白なスパスカヤ教会、ボゴヤブレニヤ大教会は、歴史の記念碑になったたくさんの木造の家と同じように現在でも、存在しています。
ソビエト時代では、イルクーツク市は州のセンター、アルミニウム、木材、科学、産業の町になり、革命家や犯罪者のためのツァーリの監獄は、信頼のない非国教徒、「人民の敵」のための収容所に変わりました。